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 世の中の出来事について、私なりの考え方を書いてみました。世の中には考え方の違う人たちがいて当たり前だとは思いますが、類は友を呼ぶのたとえのように、同じような考え方の人と楽しい時間を過ごしたいと思います。

人からどのように見られるか・・
 成美文庫から出版されている本多信一さんの「人の目を気にしなければ人生はうまくいく」を読んだ。人の視線が気になって相手の目を見て話が出来ない人達へのアドバイス本である。
 この本の主題とは違うが職場などで来客があっているときに、自分がどのように見られているかということを、意識したほうが良いと思う。
 理想的には「仕事をまじめにしていて、実際、そのように見られる」のが一番良いと思うが、最悪、「遊んでいる」と誤解を受けかねないような行動は慎まなければならないと思う。
 来客の応接中にもかかわらず、私語をしたり、業務外の話をしたり、職場内をうろうろ歩き回ったり・・、
 特に他課の職員が来て、状況も考えずに馬鹿騒ぎをしたりすると最悪だろう。おそらく外部の人は、「なんという職場なんだろうか!」「課長は職員の指導をしていないのだろうか?」と思うに違いない。
 仮に仕事の話をしていれば、それで良いのだろうか? いや、やはり、組織で仕事をしている以上、私見や未決定事項を軽々しく口に出すのは控えるべきではないかと思う。「情報収集に躍起になっている他社の営業マンがそこに隠れているのではないか・・」と周りを見回すぐらいの慎重さが欲しいものだ。壁に耳あり、障子に目あり。

伝わらない日本語

 ブルガリア語で会話をするのは大変だった。正直会話にならなかったと思う。使い慣れた日本語でも会話が成り立たない場合が結構ある。
 言葉の表面だけを聞く人が多いし、言った・言わないの口論になる場合もあるようだ。
 聞こえ方は人それぞれだろうが、「どうしてそんなことを言うんだろうか?」「何か不都合があるのではないだろうか?」ぐらいのことを考えてみて欲しいと思う。言葉の表面の意味だけでなく、奥底の意味を考えることは大切である。
 最近は、どうしてそのように言うのかという「理由」「目的」と、結果として「どのようになって欲しい」ということをあわせて言うようにしている。
 ただ、聞く人が「聞く気」がないといくら得々と説明しても伝わらないようだ。

豊川悦司の気持ちがよくわかる

 久しぶりに風邪をひいて咳が出る。
 ところで、「咳払い」には「そこにいることを知らせるためや、何かの合図のためにわざと咳をすること。こわづくり。しわぶき。とも言う」という意味があることは、現在でも風習として生きているのだろうか?
 豊川悦司の場合は「目配せ」で、ズボンのチャックが開いているのを伝えようとするのだが、コミュニケーションが成り立たない歯がゆさが良く出ているコマーシャルである。
 職場などでも注意を喚起するために時々、「一番最初に挨拶」をしたり、前出の「咳払い」をしたりする時もある。「偉い人にだけ自分からすすんで挨拶をする。」とか、「よく風邪をひく人だ。」とか思われているのか、反応はない。

耐え難いもの  

 「見ざる」・「聞かざる」・「言わざる」というか、人間の五感(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)の中で、一番自立神経的なコントロールが聞き難いものは何だろうか?
 見たくなければ目を閉じればいいし、言いたくなければ喋らなければいい。
 しかし、音とか臭いとかは、こちらの好き嫌いにかかわらず、ズカズカと飛び込んでくるものだということを認識している人は割と少ない。
 臭いと嫌われるので、経験的に無香性にしている人が多いが、最近は香水がプンプンしている「プンプン虫」と言われる自己虫も多くなった。
 騒がしいと嫌われる?という感覚がないので、話したいことがあれば無条件に話しまくる人が多いが、聞きたくない人にとっては大迷惑である。これを防ぐには耳栓をするしかないが、そうすれば大切な話も聞こえなくなってしまう。
 飛び交う会話に注意を払っている人達にとっては、無駄話虫は、何ものにもまして耐え難い自己虫だろう。

迷惑電話
 いたずら電話のことではないが、職員研修の時などに「前の職場では過去に、留守の時電話をかけても、返事の電話をかけてこない職員がいた」と、よく、悪い事例として聞く場合がある。
 確かに、大切な要件のときに、返事の連絡もしない職員には腹立たしいと思うが、私は電話ほど相手の都合を考えない連絡手段もないと思う。21世紀、テレビ電話の時代になったときに、風呂に入っていたり、トイレに入っていたり、大切な時間を過ごしていたりした場合はどうするのだろうか?応答保留とかいう機能が付くのだろうか?などと考える。
 自分が都合が悪いときに電話がかかってきて気分が良くなかった経験から、私は電話をするときには、相手の都合を考えて、相手が今何をしているだろうかとか考えているうちに、止めてしまうことが多い。
平日はまだ良いが、土日はあまりかけたくない。ましてや、年休や病休で休んでいる職員に自分から電話をかけることはまず無い。
 また、土日や休んでいるときに自分にかかってきた電話にも、たまたま出かけていたりして留守の時はその日は返事の電話はしない。どうしても、私に連絡がつけたいときは何回もかけてくれるようにお願いしている。
 こんな生活をしているために、田舎の親戚から久しぶりに電話でもあるとドキッとしてしまう。うちの親戚は普段は何かなければかけてこないからだ。
 先日、叔父から電話があって、案の定、ドキッとした。「米をもらいに来い。」という電話だったが、もっと、普段に、世間話の電話でもかけないといけないのかなと思った。

パチンコは趣味であったらいけないか?

 職場で研修を受けた。
 講師が、「自分の欠点や長所をあらかじめ部下に言う」ことは良いことだと説明した。
 ただし、「致命的な欠点」は「口に出したらいけない」という。
 例として、ある会社のコンサルタントが、人前で「私の趣味はパチンコです」と言ったばかりに、その会社のコンサルタントからおろされたことを取り上げた。
 確かに私も「好き嫌い」で言うと、パチンコをする人は好きではないが、コンサルタント業務を首になるくらいの「致命的な欠点」なのだろうか?
 講師がどの点を悪い事例として強調したかったのか、その趣旨がわからなかったのでいまいち釈然としない研修事例で終わってしまった。
 このコンサルタントが、趣味としたものは「遊戯」としての「時間つぶし的な」、「お金儲けのための」パチンコだったのだろうか?
 仮に、
 「パチンコにおける流行の分析」や
 「確率変動の分析」や
 「パチンコ業における経営活動の分析」など、自分のコンサルタント業に関する部分の情報収集の手段としていた場合は、その評価はどのようになるのだろうか?
 ちなみに私はホームページの作成担当をしているので、仕事中にいろいろなページを閲覧する。諫早市のホームページはまだ改善が必要なので、「もっと他のホームページを参考にして改善しなさい。」とお叱りを受ける場合も多い。どうせ、ページを見るなら、自分の関心の高い分野、例えば「建築」や「釣り」のページを見た方が楽しくもあるので、そのようにする場合が多いが、公私の区別と、いくら本人はそのつもりでも外部からのものの見方が違う場合もあるので運用は難しい。
 講師にメールでも送って、聞いてみようと思う。

あなたの仕事、私の仕事

 自分の仕事の範疇は正確に把握する必要がある。一応事務分掌で決まっているが、明確に分けられない部分もあるのでその都度確認が必要だ。
 自分の仕事なのに、いかにも他人の仕事のように、仕事を押しつけるのは良くない。ひとの仕事であっても取ってしまうぐらいに、もっと積極的に仕事を覚えようとしなければいけないと思う。
 自分の仕事の範疇に「こだわりすぎる」のもいけない。そばで他の人が忙しそうにしていれば手伝うぐらいの心の余裕も必要だろう。
 出来れば、チームワークで仕事をした方がワイワイと楽しいので、組織上は規定されていないが、昔の係制のような班体制にすれば、フレキシブルに動くようになると思う。
職員の積極的な理解と運用が鍵である。

管理監督者の振る舞い  

 一般的な話しとして、自分がやっていることであれば、他人がそれと同じ事をした場合に、納得が出来るものである。
 自分が好きなことであれば、時として相手に薦めたりする。
 逆に、自分がしないことや、やりたいけれどもやらないと決めていることは、なかなか納得しないし、もし、相手がそれをすれば途端に、評価を下げてしまう。
 部下になる人間のいわゆる「世渡り術」として、管理監督者の振る舞いに気をつけるようにと指導を受けてきた。
 最近は、そのようなことを意識することは少ないらしく、物事を自分の好き嫌いで判断していて、「上司の振る舞いに含まれているか?」という視点はないようだ。
 上司にごまをするわけではないが、振る舞いには注意が必要である。例えば、職場で仕事中に何かお菓子でも食べようとするとき、上司が食べているかどうかは、来客があっているかなどとともに、重要な判断のポイントの一つである。
 また上司は常に襟を正しておく必要があると思う。

上司に怒られたとき  
 ガバナンスという雑誌にも書いてあったが、自分が上司に怒られる場合は、たいてい自分の方に原因がある場合が多いそうだ。
 自分としては120%の事前準備をしたようでも、上司の立場からすれば不足しているときなどによく怒られるそうである。怒られた方でも納得がいかないだろう。

 特に、前例に倣ったり前任者や周りの人に聞いたとおりにしたときは、どうして怒られるのか釈然としない部分が多いと思う。いろいろな状況や経過があることを知らずに、単に表面的な結果だけでカミナリを落とす人はつき合いにくいので、怒る理由をちゃんと説明して、指導や教育をしなければいけない。
 もちろん、聞く耳を持って素直な態度での反省も必要である。

突進虫  

 自己中心的な人を害虫に喩えて「自己虫」と政府公報で言い表している。「ゴミ捨て虫」など誰でもがイメージできて、誰もがそれを迷惑だと納得できるものは良いが、表題の「突進虫」などは何のことか分からないかもしれない。
 通路などの狭い場所で行き違うとき、相手に道を譲るということを考えることのない一部の人は、通れようが通れまいがお構いなしに突っ込んでくる。
 こういう人達のことを「突進虫」というのだが、全国的な状況らしい。
 相手のことを考えるというようなことは今や廃れてしまっているのかもしれない。
 印鑑は朱肉がべったり付いた方を向けて手渡すし、ハサミも刃先を向けて手渡す。
 テレビを見ている人がいるのに視線をさえぎる。先ほどの「突進虫」のような人が増えるから交通事故が減らないのかもしれないと思う。

ホウ・レン・ソウ

 組織の中で事務処理をスムーズに進めるために、部下から上司への「ホウ・レン・ソウ」を意識づける場合が良くある。
 言うまでもなく、上司への「報告・連絡・相談」を常々心がけるように、という指導であるが、これを理解してもらうのはとても難しい。
 まず、誰を上司と捉えるかであるが、ライン職とスタッフ職を明確に意識して、ライン職の最下位の人、自分がライン職である場合は直属のライン職の人に報告すべきである。
 これを無視して、課長や部長との間でやりとりをしようとした瞬間に組織は崩れる。報告すべきは係長であるということを肝に銘じなければならない。
 次に、報告と連絡、相談の言葉の意味を理解する必要がある。これらは三位一体で完結する事務処理であるべきなのに、小さな事は任せられているのだからとばかりに報告もせずに、困ったときにだけ相談すればよいと解釈してはいけない。
 一つの案件に対して、事務処理上3回の報告が求められている。
 第1は事に取りかかる前の方針伺いである。このことを別の言い方で相談という。
 第2は事が進行中の進捗状況報告である。このことを連絡という。
 第3は終了時の顛末報告である。これがいわゆる報告である。小さなことでも軽々しく考えずに、ホウレンソウを心がけてもらいたい。

課長補佐はライン職か?

 課長補佐には決裁権がない。その点では参事や参事補も決裁権がないので同じである。
 唯一違うのは、課長が不在の時の「代決権」があることである。
 このことからすると、課長補佐はあるときはライン職であり、通常はスタッフ職であると考えた方がスッキリする。
 主任と課長はライン職で上下の関係、補佐はこれとトライアングルの関係にあるようだ。
 こういう位置づけにある補佐職が、実際に「補佐」をするのはかなり難しい。なぜなら、通常の事務処理上で情報が入ってくる手続きになっていないからである。
 予算上の決裁はその80%が主任で完結する。また、文書の受付は課長で完結する。
 つまり、補佐が予算状況を常々把握し、事業の進行管理を適正に行うためには、主任からのホウレンソウが欠かせない。また、課長の言動には常々聞き耳を立て、注意を払っておく必要がある。疲れる職務であるが大切な職務である。

雪の日ぐらい早く出勤しろよ!

 もうかなり昔、若い人に「雪の日ぐらい早く出勤しろよ!」と注意したことがある。
 彼は毎日、必ず5分か10分遅れてきていた。
 彼曰く「雪が降るかどうか予測できません!
 まったくの大馬鹿者である。
 仮に雪が降らないにしろ、交通機関の混雑などを予想して、少し早めに出勤するのが、普通のサラリーマンではないだろうか?
 歩いて通える距離の人は、歩いた場合に何分かかるだろうかと予想して、「明日は歩きかな?」とため息をもらすことだろう。
 この大馬鹿者は「雪で交通機関が混雑していました。」とシャーシャーと言ってのけた。
 最近の世の中にはもっと上手がいるそうである。「雨」や「雪」の日は休むのだそうだ。何をかいわんやであるが、私も組織に毒された人間になったのだろうか。バカンス中心のブルガリア人にはまったく理解できない話だと思う。

知っていることと出来ることの違い

 知っていることと出来ることは違う。口だけではなく、実現できる実力を身につけたい。
 最近の世の中には、口先だけの評論家が多いと思う。
 人の成果ややり方に「クレーム」ばかりつけて否定する。

 単なる否定ならまだしも、馬鹿にした言い方をする。
 前任者や関係者を前にして平気で「ぶっつぶそう!」などという人もいる。
 そんなに人の成果について悪く言うのなら自分で言うだけのものを作って見ろと言いたいが、こういう人は概して、時間だけかかって、出来ない人が多い。口さきだけの世渡り利口な自分勝手虫である。いわゆる評論家虫だと思う。
 知っているだけでは何にもならないし、口先だけの人間にはならないように気をつけたいものである。

人間動物園 
 ペンギンの親子が人間という動物を見るための動物園に行くというコマーシャルがある。
 上司が部下を指導している場面では「なーんだ、謝って欲しいわけ?」と、部下が上司に言っている。
 とても考えられないシーンとして??設定されているのだろうが、家庭も含め笑えない現実感がある。
 なぜなら、最近はディベートとかいう交渉の技術を高校あたりでも教えるらしく、何かあれば口答えばかりだからである。
 何も憎くていろいろと言うわけではないのに、少しでも気に入らないとふてくされるか、言い訳をする。物にあたりまくる罰当たりもいる。
 「良いところ取りばかり」で、自分の気に入ったところや、すごいと思ったことは盗もう(参考にしよう)とするが、注意を素直に聞くことはない。
 成長してもらいたいと望んでのことだが、「聞く耳を持たない人」は願い下げだ。
 ブルガリア人も自分の意見を言うばかりで聞く耳を持たなかった。
 韓国のキムデジュン大統領のノーベル平和賞受賞の時の談話では先進国の人は聞く耳を持っているが、東欧など抑圧の歴史を持つ国や途上国では聞く耳を持たないらしい。
 彼らには「聞きなさい!」ということをまず最初に教えなければならない。私は性格上すぐに「言う口」を閉ざしてしまうたちだが、これも自分の務めと思って頑張らないといけない。理解者が欲しいところである。

面従腹背
 「めんじゅうふくはい」と読む。表面では服従するようにみせかけ、内心では反抗することを意味するが、組織で仕事をする場合に一番困ることである。
 同じような意味を表す言葉に「めんじゅうふくひ」【面従腹誹】がある。(表面では従うようにみせかけ、内心では誹(そし)ること。)
 反対意見はちゃんと進言し協議すべきであって、腹にためておくものではない。仮に多数決で自分の意見が否定をされたからと言って、それを理由に反対行動にでるのは「暴力」である。
 意見は反対であっても、「決定事項」は積極的に推進しなければ、「面従腹背」や「面従腹誹」になってしまう。 謙虚に耳を傾けず苦言を感情で忌避する人はしだいしだいに信用失墜し、やがて「無用の厄介者」となってしまうことをわからなければならない。
共用と専用(占用)

 「共用」とは、二人以上の者が共同して使用することを言い、「専用」とは、ある特定の目的、または対象のためだけに用いること、または、ある人だけが使用することを言う。例えば「婦人専用車」などである。同じ発音であるが「占用」とは、独占して用いること。占有して使用することを言い、道路占用許可とかに用例がある。所有権までもが移っているような強さがある。
 「共用」と「専用(占用)」の運用上の違いは何であろうか?
 人間には二つのタイプがあって、自分のものだから大切に扱う人と、自分のものだからぞんざいに扱う人である。
 これらの人は得てして、他人のものだからぞんざいに扱う人と、他人のものだから大切に扱う人の裏返しである場合が多い。
 物を大切に取り扱うということについては、自分の物であろうと他人の物であろうと「大切にするという心がけが必要だ」ということについては異論はないだろうと思う。そんなに大切に取り扱わずにもっと消費・消耗・破損をするようにしなければ商品が売れないと言う人もいるのだろうか?
 物を大切にするというルールが守られた後は、何に気配りが必要なのだろうか?それは「自分以外の人が自分の行動による結果で困らないか?」という点ではないだろうか?
 自分中心に世の中が回っている人にとっては、思いもつかないようなルールなのだと思われる。

コードのカバーの悲鳴 

 最新式のOAフロアーでもない限り、パソコンや電話の配線は床の上を這わせてある。
 これを踏みつけて断線やショートしたりするトラブルを未然に防ぐために、モールとか呼ばれるプラスチックのカバーをしてあるのが普通だ。
 これがメタルカバーの場合は踏みつけても壊れないが、プラスチックの場合は割と簡単に壊れる代物である。
 一度踏みつけてみると分かるが、使えなくなるくらいに壊れる前に、ギャッという悲鳴にも似たような音がする。
 これを繰り返すとつぶれて壊れてしまうが、一・二回踏みつけても壊れるような物ではない。
 今日も職場のあちこちでモールの悲鳴が聞こえる。もっと物を大切にすることが必要だし、踏みつけて壊れた物はすぐに修理をして長く使えるようにしなければいけない。物にも人格があると思う。

節約

 我々は税金で仕事をしているんだから、節約出来るだけ節約するのが常識だと思う、
伝言メモの用紙は、裏紙で十分だし、引き出しの間仕切りなどは「お菓子の空き箱」で十分だ。どうしても最新式の物が欲しければ自分のお金で買えばいい。
 途上国に行くとこのことがもっとよくわかる。節約精神は大切である。

ひとりよがり 

 一人で「よがる」から語源が来ているのかと思えば、
 「善がり」と書くらしい。
 自分だけ良いことだと思っていることをいうのだが・・・。
 エアースプレーというのがある。
 パソコンなどは水に弱いので、拭き掃除をするかわりに、圧縮空気でゴミを吹き飛ばしてしまうアイテムだ。
 もともと、電気製品を掃除するときは、掃除機などで吸い取るよりも、このように吹き飛ばした方が機器に害が無いとメーカーのCEに聞いたことがある。
 吹き飛ばされたゴミはいずこに行くのか・・、鼻が弱い私は、このシューが始まると、どこかに退散しなければならない。
 窓を開けて新鮮な空気を入れるときもある。
 今日はいつになく寒かった。
 日頃から掃除を心がけていれば、あまり必要性を感じないアイテムなのだが・・・・。

労働組合 

 若い職員が労働組合の執行委員に立候補するからと、職場で決意表明をした。
 私も青年部時代を含めて8年間の経験があるので苦労がよく分かるが、社会勉強のつもりで頑張ってもらいたいと思う。
 職場の課長には話をしたのかと聞いてみると、「まだ話をしていない」と言う。こういうところがまだ社会勉強が足りないところだ。
 労働組合の執行委員なのだから、いつも理事者側と対立している必要があると主張する先輩方もいらっしゃるとは思うが、結論として、職場の切り盛りをするのは課長である。課長は彼が抜けた後を全力で穴埋めしなければならない。当然に職場のほかの職員にも迷惑がかかる。その点をよろしくお願いしますということについては事前に話をしておくのが心配りだと思う。自分の夢の実現は人に痛みを与えることを忘れてはならない。
 さて、労働組合では何を勉強すればいいのか、それは、「一人は万人のために、万人は一人のために」に尽きる。自分のことを言う前に、人のことを考えられる人間にならなければ、執行委員で過ごした時間は無駄以外の何ものでもない。頑張れ若者。

早く帰れない日 

 早く帰りたいけど、帰れない日がある。特に、今日のように議会が始まると、いつ何時思わぬ指示があるかもしれないので、最悪、課長が帰るまでは、自分も帰れない。
 今日は全部長が遅くまで残っている日だから、主管の課長はもちろん、課長補佐、主任、おもだった担当などは自席で何らかの仕事をしながら、指示を待っていなければならない。
 もし帰っていたりすると、課長は部下にいろいろと指示ができないので、課長一人でさばかないといけなくなる。組織での運営もあったものではない。
 もちろん、うちの課長は、部下がいなくても一人で切り盛りできるし、一人で不可能と判断すれば、すぐに部下に呼び出しをかけるぐらいの行動にでるだろうが、そういうことをさせない配慮も部下には必要だろう。
 みんなそれぞれ、自分が長になって、組織を切り盛りする段になって、こういうことを考えることができない部下しかいなければ、組織は成り立たないと思うし、みんなには早くそういうことが考えられるようになってもらいたいと思う。
 会議が終わって職場に戻り、ホッとしたのは、若手が、一生懸命、必死になって仕事をしていたことだ。
 育て若者!未来は君たちにかかっている!

うんざり 
 最近同じようなことが続いてウンザリする。
 締め切りに間に合うように、必ずあらかじめ注意するようにしているのに、その時にやらないから、または、その時から動きださないから、怒られたり、顔に泥を塗ったりの繰り返しだ。
 私が注意したのと同じようなことを、同じように言われている。
 今日は、私自身も上司から指導不足を怒られてしまった。
 「その件は数日前に私の方からも指導しているんですが動かないんですよ」とは言えない。
 今までうまく行かなかった案件を振り返って、どうしてうまくいかなかったのかを早く理解して欲しい。素直に話をきけば「目からうろこ」になると思う。

 第一は、指示を素直に聞くこと。
 第二は、仕事の進め方を指示した人と確認すること。
 第三は、成果物(できあがり)のイメージを指示した人とすり合わせること。
 第四は、期限をちゃんと意識すること。
 第五は、未処理ボックスを的確に運用すること。
 第六は、班会議を確実に開くこと。
 第七は、課内協議を確実に開くことである。

 一日も早く、方針伺いを決裁することが、仕事をうまくすすめるコツだと思う。

おめでとう 

 ついに大きな案件の決裁がおりた。めでたい。若い人に勉強させるつもりで処理をお願いしたが、途中、自分の課の課長にまで怒られる始末で、余計なことまで勉強してもらう結果になった。それでも、最後まで任せて本当に良かったと思う。
 私が代わりにやりますとか言わずにじっと叱咤に耐えているのはつらかったし、課長も喉元まで出かかっていたが、おかげで彼は一連の事務処理について完成されたことになる。最近は、予算執行の事務処理も勉強しているようだし、これでいつでも班長の重責が務まるようになるだろう。
 市役所で勤めて行く心構えとか、税金で仕事をする心構えとかの、基本的な部分の勉強が出来て、スムーズに印鑑をもらえなかったことの方が彼のためには良かったと思える。これからも頑張ってもらいたい。

興味のあることしかやらない?

 野次馬というか、人だかりというか、人間は興味のあることには「烏合の衆」になって、それ以外には「閑古鳥」になる動物のようだ。人間観察学というか、人の行動をよく見ていると、その行動パターンがわかる。
 以前、話したように、他人の会話に首をつっこむときは、アドバイスやアイデアを提案するとき以外は控えないといけない。相手の言動を冷やかしたり、揚げ足をとったり、いわゆる漫才の掛け合いのように、「変なつっこみ」をいれる人が多いが、そんなこと「放っておきなさい」と言いたくなる。
 逆に、自分が苦手なことや、嫌いなものは、先延ばしをしたり他人に押しつけたりすることが多い。注意をしても「いかにもなっとくしたようなふり」の返事をして先延ばしにすることもあるようだ。
 すべての仕事を責任をもって処理をしたうえで、余裕というか、遊びの要素があるべきだと考えているので、目途がつくまでは、下を向いて必死で仕事をしている。そのために笑いはない。
 仕事をいい加減にこなしてはいけないと思う。職場に笑いが無いと指摘されるが、仕事をしないで冗談を言い合い笑いばかりがあるのは認められない。今日は嫌みな新聞切り抜きが回っていた。原因がどこにあるのか今一度考えて欲しい。

課長補佐らしい仕事

現在補佐の職にあるが、正直言って、「補佐らしい仕事」や「補佐らしく」仕事をしている状況ではない。

ここで言う「補佐らしい仕事」とは、組織で言うラインに沿った事務手続きのことを言うが、事務一切の進行管理を的確にやって、課長の判断を仰ぐばかりに事前準備を整えることを言っている。

やれない、又は、やっていない理由はいくつかあるが
簡単なものから言うと、肉体的にも精神的にも「疲れている」のである。いわゆる「孤軍奮闘」で頑張れるだけの状況にない。10年前に倒れそこなったときのような体調だ。

一番大きな理由は、「仕事の進め方」についての、意識の違いである。方針として「A方式」で進めようとしているのに、「B方式が良い」とこだわっている人がそれをかき混ぜる。また、楽をしたいし、怒られたくないものだから、要領よくその方式を参考にしようとする人が出てくる。
どちらの方法をとればいいのか分からずに右往左往している人もいる。

このまま手をこまねいていては、仕事は進まないし、間違いに結びつくので、この際、徹底的に洗脳することにした。
「毒をくらわば皿まで」「心中するつもりで」「清水の舞台から飛び降りる」つもりでやってくれるか、それが鍵のような気がする。

大切なものを捨ててはいないだろうか?

男女共同参画社会づくりの推進が叫ばれている。
2年間ブルガリアに行っている間に世の中もかなり様変わりした。
職場では、従来、女性職員が同課の職員にもお茶をついでいたのだが、今や飲みたい人が自分でつぐようになっていた。
確かに、お茶くみのために勤めた訳では無いだろうし、セルフサービスにすることについては異論はない。
ただ、職場に来客があっても誰もお茶をつごうとしなくなっていた。大切な「もてなしの心」まで捨てているような感じがする。
今までだと、こういう損な役回りというか、縁の下の力持ち的な仕事は「若い人」や「新人」の仕事のようだったが、今や年功序列も捨ててしまっているようだ。
「若い人」は経験を積むまでの期間は、また、年を取っていても「その職場での新人」は、その職場で一人前になるまで、先ほどの役回りをするのが常識ではなかったかと思うが、今やこの常識は通用しないようだ。
朝から職場を「若い人」や「新人」が掃除している姿は少なくなっているようだ。
せめて、自分の回りだけでも掃除すれば良いのにと思うが、汚いままでもお構いなしのようである。
ブルガリアで私が黒板を拭き掃除したときに、生徒が「それは掃除婦の仕事だ」と大騒ぎだったことを思い出すが、日本でもお茶をついだり、掃除をしたりする専門的な職業の人が出てくるのだろうかと、古き良き時代が懐かしいような気がする。


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