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◎国立諫早少年自然の家
 県立公園多良岳の中腹にある全国3番目(九州ではじめて)の施設(400人収容)。少年たちを大自然に親しませる校外教育の場として利用が多い。
◎多良岳県立公園
 長崎・佐賀両県にまたがる標高1,057mの経ヶ岳を主峰とする寄生火山。南の雲仙岳と相対し、春はシャクナゲ、秋はモミジが壮観で、眼下にひろがる有明海・諫早平野は絵のように美しい。
◎富川渓谷
 諫早駅より本明川を上流に10.5kmほど行くと、青く澄んだ豊かな水と深い緑が美しい富川渓谷にたどり着きます。岩肌には、諫早第7代領主茂晴公が、領内の息災と水難者供養のため彫らせた五百羅漢が、今もなお鮮やかに姿をとどめ、重厚な趣をかもしだしています。周辺は森林浴の森にも指定されており、シーズン中は多くのキャンパーで賑わいます。また、最近では大きな吊り橋や公園も整備され、新しい観光スポットになっています。 
◎五百羅漢(ごひゃくらかん)
 元禄12年(1699)の水害犠牲者の霊を慰めるとともに、災害除難の悲願をこめて彫られた五百羅漢。岩壁に羅漢像500体、大雄寺の本堂裏に如来像3体、合計503体が刻まれています。
 
◎湯野尾岩清水
 本明川支流、湯野尾川の岩清水は一年中枯れることがありません。
◎ホタル
 毎年5〜6月に本明川、長田川上流でホタルの乱舞がみられます。
◎飛び石
 本明川の飛び石は、昔、街道の道筋で橋がなかった頃重要な交通の施設でした。大水害によって流された飛び石は現在復元され、市民の憩いの場となっています。
◎本明川
 五家原岳の西南斜面に水源を持ち、有明海に注ぐ長さ22kmの本明川。昭和33年3月建設省より、一級河川に認定された。諌早の歴史とともに脈々としている諌早の母なる川。
◎高城回廊
 「花と緑の都市づくり」という国土庁の補助事業を受け、眼鏡橋近くを起点に高城公園、市役所、元諫小・体育館から諌早公園にもどる。一周1,800mの歩道。
◎御書院と庭園
 諌早家初代龍造寺家晴公が構築した。桃山様式の「回遊式庭園」として、心字池を中心に建てた。昔の面影は失くなったが、太鼓橋や月見灯籠は昔を偲ばせる。諌早高校の一隅。
◎諫早公園の大楠(諫早公園頂上)
 「諫早の名木」ともいわれ高城城址にそびえる巨大な楠。樹齢600〜1000年。
◎諫早公園
 高城城址を公園としたもので、「つつじ公園」の名があります。全山が国指定天然記念物「諫早市城山暖地性樹叢」におおわれています。
◎くじら橋(諫早公園内)
 明治6年(1873)に諌早小を建設する時、道路改修のため、不要となったが、大正時代諌早公園に移された。現在、重要文化財の眼鏡橋のそばに保存されている。
◎諌早市城山暖地性樹叢(諫早公園内)
 この樹叢は、第三紀層砂岩になる周囲約1km、標高約50mの独立した丘陵全体を覆っている。樹叢の主な植物は(目通幹囲m)クスノキ(12)、ヒゼンマユミ(2.2)、オガタマノキ(1.8)、ホルトノキ(3.15)、ハゼノキ(2.5)、クロガネモチ(2.4)などが多い。特に、ヒゼンマユミは明治39年(1913)1月に千葉常三郎がここで発見し、大正2年(1913)、牧野富太郎が学会に発表した。昭和50年「市の木」として指定される。(国指定天然記念物)
◎眼鏡橋
 諫早市の象徴ともいえる眼鏡橋は、1839(天保10)年に、当時の領主・領民が永久不壊の願いを込めて本明川に架けた石造りのアーチ橋です。全長49.25m、石段が38段ある規模の大きなもので、長い間人々の重要な交通手段として活躍していました。1957(昭和32)年の水害後、諫早公園に移築された橋は、石橋では日本で最初に重要文化財に指定され四季折々の彩りとともに訪れる人々の目を楽しませてくれます。 
 
◎旧長崎街道
 江戸時代に整備された旧長崎街道のうち、破籠井町から山間部に入り日野見岳の麓を経て、大村市との境界に至る地域では、昔の姿そのままの街道をしのぶことができます。
◎慶巌寺(けいがんじ)
 市の中心、本明川のほとりにある浄土宗の寺で1605(慶長10)年に創建。箏曲「六段の調」の発祥の地として名高く、毎年11月三曲関係者が集まり「六段まつり」が開催されています。
◎慶巌寺の磨崖仏三十三観音
 寺域南端の第三紀砂岩の岩はだに、西を起点として33体の菩薩像を彫刻している。観音菩薩が33に変化し、衆生を救済するという三十三観音思想と庶民の救いを求める願望が合致して成立した。(市指定有形文化財)
◎六段発祥の地(慶巌寺内)
 第4代住職玄恕上人は筑紫琴の名手といわれていた。玄恕の名声を慕った奥羽生まれの盲目の少年・城秀が7年間の修業で技を伝授され奥儀を極めた。後に「八ツ橋剣校」と改め作曲したのが「六段の調」である。
◎慶巌寺の名号石
 「南無阿弥陀仏」の名号を正面に薬研彫りしており、類中立派なものである。右側、年紀銘の貞和7年(1351)は観応2年に当たるが、足利直冬は観応の年号は使わなかったとされ、直冬の勢力下もしくは支持勢力がこの地にあったことを示している。(県指定有形民俗文化財)
◎明珍作うこん威甲冑一領(慶巌寺)
  甲冑の宗家、増田明珍の作である。諫早家の家宝として伝わり、明時43年(1910)ロンドンでの日英博覧会に日本を代表する工芸品として出品された鎧冑である。(県指定・有形文化財・工芸品)
◎天祐寺(てんゆうじ)
 曹洞宗・坤松山天祐寺は西郷尚善の開基で後に諫早家の菩提寺となっています。境内には諫早家歴代の墓所、六地蔵、島原の乱の戦没者追悼碑、元禄水難供養費などあり、木洩日が幽寂な空間を醸し出しています。
◎諌早家墓所(天祐寺内)
 初代龍造寺家晴公から十八代家興公までの墓がある。諌早家墓所の最も大きな特徴は、「弥勒四十九院」造りと呼ばれる石門付石柵である。初代から3代までの墓碑後方の小さな墓は殉死した家臣達のものである。(県指定・史跡)
◎天祐寺の六地蔵
 六地蔵石憧・燈籠式六地蔵などといわれている。特徴は、石を六面にけずり、各々の面に地蔵を浮き彫りにしている。天文10年(1541)年の建立。
◎島原の乱戦没者追悼碑(天祐寺内)
 寛永14年(1637)島原の乱がおこり、第3代諌早領主諌早茂敬公は手勢をひきいて出陣し、戦いは諌早勢も多くの犠牲者を出した。33回忌の寛文12年(1672)に、諌早では改めて、犠牲者の霊を祭るため追悼碑を建立したもの。この碑には、激戦を物語る碑文と戦没した武士67名、又者14名、百姓11名、計92名の氏名が刻みこまれている。(市指定・有形文化財)
◎御館山神社
 宝暦元年(1751)標高100mの御館山頂上近くに創設された。 麓には旧長崎街道が回っている。この名の由来は、往時、鎮西八郎為朝がこの山頂に城郭を作った伝説に因むと言われる。山頂のすぐ下に御館山神社がある。祭神は豊受姫命を主神に、猿田彦命、大宮姫命を祭っている。交通安全・商売繁昌の神様として、信仰を集めている。
◎諫早神社
 別称「四面宮」「おしめんさん」明治元年の神仏分離令により「四面宮」は「諫早神社」に改められた。
◎諌早神社のクス群(諌早神社内)
 境内の樹木のうち、クス6本が指定を受けている。拝殿の前のクスが特に巨木で御神木として崇敬されている。(県指定天然記念物)
◎高城神社
 明治16年(1882)諌早家の祖先竜造寺家晴の祭神として創造されたもの。もと本明川の川沿いにあったが、昭和32年の大水害後、諌早公園横に移され、昭和36年完成。
◎金比羅山
 市指定文化財の名勝地。特に諫早平野、有明海の眺めがすばらしい。
◎白鬚(しらひげ)神社
 武内宿称を祭神として祀る。鳥居が「白鬚」「白髯」「白髪」と3基のうち今は「白鬚」「白髯」のみ建っている。
◎蛍塚
 「水きよき本明川のほたるにも小さきいのちのありていとしも」歌人(吉井 勇)
◎高城公園の大悲観世音像
 昭和32年7月25日の大洪水は一瞬にして539名の命を奪いさった。諫早市ではこれら犠牲者の霊を慰さめ、冥福を祈るため、本明川畔に大悲観世音像を建立し、毎年水害記念日には慰霊祭を行っている。
◎御手水観音
 うっそうたる杉林の中、巨岩に刻まれた菩薩像に守られ一条の霊爆がかかる。ここは、昔より修験者のよき道場であった。今、夏は冷たいソーメン流しに舌づつみを打つ市民で賑わう。ここの観音像(線刻)は49躰あり市指定文化財となっている。
◎西郷の板碑
 板碑は一種の供養塔です。この板碑には、建久元年(1190)の銘があり、国内でも大きいものに属し、県内では珍しい塔です。県指定有形民俗文化財に指定されています。
◎愛宕社宝殿及び三重塔(上山公園内)
 愛宕社は、永禄6年(1563)、西郷純堯によって奉祀されたのが始まりである。愛宕信仰は、中世期には武の神として、また近世期には鎮火、防火の神として広く信仰された。この宝殿が石造りとなったのは、享和元年(1801)のことで、それ以前は木造りであった。 三重塔は、亨保16年(1731)に建立された。仁王経は護国の経典として尊重され国家安泰、五穀豊穣を祈念して建立された。 (市指定有形文化財・建造物)
◎愛宕山の肥前鳥居(上山公園)
 諌早第4代領主茂真公が頂上に祀る愛宕社の「一の鳥居」として、1663年に建立した。額束の「愛宕山」の字は黄檗僧・即非が書いたもので、諌早では唯一の肥前鳥居である。(市指定・有形文化財・建造物)
◎安勝寺の鐘楼
 鐘楼は元禄時代に建立され、昭和19年(1944)戦争末期まで、220余年間1日も休まず時刻を知らせた。
◎野口 弥太郎
 諌早を描いた名作「諌早の眼鏡橋」は昭和32年の大水害の翌年に諌早公園に移設される直前の眼鏡橋を描いている。数点が描かれ、老舗の店中や市役所や市体育館の緞帳に鑑賞することができる。他には晩年に市民センターに制作した大壁画「いさはや」、市に所蔵されている作品では「雲仙」や日本芸術院賞を受賞した「那智の滝」の連作の六十号がある。
◎伊東 静雄
 昭和4年京都帝国大学文学部国文科を卒業後、雑誌「国」「コギト」「日本浪漫派」などに詩作品を発表し、同10年10月処女詩集「わがひとに奥ふる哀歌」をコギト社より発行し詩壇の注目を浴びる。伊東没後1年をへて、諌早文化協会によって諌早公園中腹に詩碑が建立された。毎年3月には、詩人の高雅なる詩風と孤高の詩精神を追慕し、「菜の花忌」が開催される。
◎野呂 邦暢
 昭和20年、11歳のとき長崎から疎開した野呂邦暢は42歳で天に召されるまで、郷土の水と空気、木々と海と山、そして人のいい諌早をこよなく愛し、郷里を離れることなく、諌早を舞台に数々の名作を残した。代表作に「草のつるぎ(第七十回芥川賞)」「諌早菖蒲日記」「落城記」他がある。上山公園の文学碑の前で毎年5月「菖蒲忌」が開催される。
◎白木峰高原
 標高1,058mの五家原岳の中腹に広がる白木峰高原は、雲仙岳や有明海を一望できるなだらかな丘陵地です。約10,000uの広さに、春には15万本の菜の花、秋には25万本のコスモスが咲きみだれ、県内でも有数の観光名所になっています。草スキー場やミニアーチェリー場、ローラースライダーなどのレジャー施設も整えられ、シーズン中には新鮮な野菜や果物などの特産品の直売も行われています。 
 

◎コスモス花宇宙館
 白木峰高原にあり、天文台では昼夜問わず四季折々の星座を観察できます。また2階のギャラリーではコスモス画などが展示されています。
 ※駐車場等のくわしいお問い合わせは
  コスモス花宇宙館(電話0957-23-9003)まで。
◎ゆうゆうランド干拓の里
 園内ではパターゴルフや変わり自転車、ローラースケーターなどが楽しめ、特産館、また干拓資料館やむつごろう水族館、プロのインストラクターが初心者から本格的な乗馬まで親切に教えてくれる馬事公苑などの施設もあり、一日中学んで遊べるもりだくさんの内容が自慢です。
◎干拓資料館
 干潟や干拓の歴史についての貴重な資料を展示しており、干拓に関するビデオも自由にみることができます。
◎むつごろう水族館
 本明川流域の生物や有明海の干潟の生物を展示する「むつごろう」の形をした水族館で、国内最大の「干潟水槽」では「むつごろう」の生態をまぢかにみることができます。
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