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なぜ、援助を?
● 援助の理念 ●
なぜ、開発途上国に対して援助をするのか。これにはいくつもの答えがありますし、時代によってもその答えは変化してきました。
1990年代になって、地球社会は大きな変動の時代を迎えました。まず、東西冷戦構造の崩壊は、国際情勢に急激な変化をもたらしました。また、1992年6月、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロで開催された「地球環境サミット」に見られたように、近年、地球環境問題への世界的な関心が高まってきました。
こうした状況の変化を背景に、わが国はあらたな援助理念を打ち出しました。これが1992年6月に発表された政府開発援助大綱です。同大綱では、わが国援助の基本的理念として次のことを掲げています。
第1に人道的・道徳的な考えです。幼くして命を落とす子供たち、十分な食事を得られない人々、職のない人々、劣悪な住環境に住まざるをえない人々等、開発途上国にくらす多くの人々は厳しい現実の中にあります。こうした開発途上国の悲惨な状況に私たちは無関心ではいられません。世界が共同体であるという観点に立てば、貧しい国々に救いの手を差し伸べることは、経済的に豊かな国々、いわゆる先進国にとって当然の務めといえます。
第2に、今、私たちは相互依存の時代に生きているということです。世界経済の中で、先進国も開発途上国も密接に結びついており、途上国の政治的安定、経済発展なくしては先進国の発展も決して順調ではあり得ないと考えられるからです。
第3に、開発途上国が持続的に発展するためには環境配慮が重要であることです。現在、開発途上国の多くは人口の増加やこれまでの開発政策の結果、森林破壊、土壌流出、砂漠化といった自然環境の悪化に直面し、居住環境の面でも、大気汚染、廃棄物処理問題など、急速な工業化と都市化がもたらした深刻な問題を抱えるに至っています。開発は常に環境に影響を与える可能性をもっていますが、環境の保全を図り、環境を損なうことのないよう配慮しつつ開発を進めていくことが、結局は持続的な開発を可能にするのです。
また、わが国は様々な経験から自助努力に基づいて自国の開発を進めることが真の経済的離陸につながるものであることを知っています。こうした経験を踏まえ、同大綱では、援助は開発途上国の離陸に向けての自助努力を支援するものであることを、わが国援助の基本に据えています。
政府開発援助の実施にあたっては、同大綱は、
1.環境と開発の両立
2.軍事用途及び国際紛争助長への使用回避
3.開発途上国の軍事支出等の動向
4.開発途上国における民主化の促進、市場指向型経済の導入の努力
並びに基本的人権及び自由の保障状況
に十分注意して行うことを、その原則として掲げています。
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● 援助の始まり ●
第2次世界大戦後における国際援助の歴史は、マーシャル・プランによって、アメリカが戦災から立ち直ろうとするヨーロッパ諸国に対して行った復興援助に始まります。日本もまた、欧米諸国からの資金、物資等の援助を受けました。やがて東西冷戦が進むなか、援助対象国が両陣営の競合地域である開発途上国へと拡大されていき、経済復興を成し遂げたヨーロッパ諸国は援助国となりました。そして援助の意見交換・政策調整のために、1960年、「開発援助グループ」が設立されました。これは経済協力開発機構(OECD)の発足に伴い、その下部委員会である開発援助委員会(DAC)に引き継がれ、日本もそのメンバーに入っています。
一方、1950年に、英連邦諸国が中心となって、アジア諸国の社会・経済開発を行うためのコロンボ・プランが発足しました。1954年、これに加盟したのが、わが国の政府ベース技術協力の始まりです。
以後、経済力をつけた日本は経済大国の国際的責務として、援助を年々拡大し、国際社会でも大きな期待と注目を集めるようになり、現在では、世界1、2位を争う援助国となりました。
しかし、日本の援助はODAの対GNP比やグラント・エレメント(援助の譲許性)がDAC平均より低く、まだまだ改善が求められます。
以上、ODAを中心に述べましたが、援助を行うのは政府ばかりではありません。国際機関やNGO(None
Governmental Organizations)と呼ばれる民間援助団体による援助も大きな役割を果たしています。
他の援助国に比べると、日本のNGOの活動は歴史も浅く、規模も小さいものです。しかしODAではカバーできない点をNGOが協力できる利点があり、両者の連携により援助が効果的に行われることが期待されています。
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